「自分なんてこんなものだ」と、どこかで諦めに似た感情を抱いていませんか?
しかし実際には、あなたが「自分はこういう人間だ」と信じているそのイメージは、生まれつき決まっているわけでも、運命的に固定されているわけでもありません。
後からでも、穏やかに、そして確実に変えていくことが可能です。
ここで言う「変える」とは、根性で耐えたり、無理に自分を欺くことではありません。
過去の記憶に基づいて歪んでしまった認識をそっと手放し、あなた本来の力にふさわしい見方へと、少しずつ更新していくことです。
今のあなたが「自分はこういうタイプだ」と感じている自己イメージは、これまでの人生で経験してきた出来事の記憶から形づくられています。
しかし、その記憶は、ポジティブなものよりも、失敗や恥ずかしさ、怒られた経験、悔しさ、つらさといったネガティブな出来事のほうが強く残りやすいという偏りがあります。
たとえば、仕事で何度も「助かったよ、ありがとう」と言われているのに、一度だけ強く注意された場面ばかりが鮮明によみがえってくることがあります。
プレゼンのほとんどはうまくいっているのに、最後に言葉が詰まった瞬間だけを何度も思い出してしまうこともあります。
テストで90点を取ったのに、「あと10点足りなかった」という感覚ばかりが残る人もいるでしょう。
こうした偏りは、あなたが特別ネガティブだから起きているわけではありません。
人間という生き物に元々備わっている仕組みが、静かに働いているだけです。
人類の長い歴史を振り返ると、私たちは常に「どうやって命を守るか」「どうやって子孫を残すか」という課題に向き合ってきました。
危険な出来事や痛みを伴う経験を忘れてしまう生き物は、生き残ることができません。
だからこそ脳は、危険につながるネガティブな出来事を優先して覚えるように設計されています。
たとえば、安全に何十回も通り抜けた道よりも、一度だけヒヤッとした場所のほうが、強く印象に残っていたりします。
たくさんの穏やかな会話よりも、一度の大きなケンカのほうが、何年も心に引っかかったままになることもあります。
これは、「同じ失敗や危険を繰り返さないために、しっかり覚えておきなさい」という生存のためのプログラムのようなものです。
つまり、あなたの頭の中にネガティブな場面ばかりが浮かびやすいのは、あなたがダメだからでも、性格が暗いからでもなく、人間としてとても自然な反応なのです。
問題は、このネガティブな記憶が、あなたの「自分への評価」に大きな影響を与えてしまうことです。
脳は「危険」や「失敗」、「恥ずかしい思い」や「叱られた経験」といった記憶を優先的に思い出す傾向があります。
この状態で「自分はどんな人間か」を考えると、どうしても「できなかったこと」や「うまくいかなかったこと」が材料として集まりやすくなります。
その結果、「私はいつもダメだ」「やっぱり続かないタイプだ」「また失敗するかもしれない」といった具合に、自分を評価する際に実力よりも低く見積もってしまうことが多いのです。
実際には、成功した経験や、静かに成し遂げたこと、誰かの役に立った出来事もたくさんあるはずです。
しかし、そうしたポジティブな記憶はネガティブな記憶ほど強く残りにくく、「なかったこと」のように扱われてしまうことがあります。
そのため、今のあなたの自己評価は、実際のあなたよりも「かなり控えめ」になっていることが多いでしょう。
「人は脳の10%も使っていない」という話を聞いたことがあるかもしれません。
これは科学的な厳密さよりも、「私たちは自分の力のほんの一部しか活用できていない」というイメージを伝えるためによく使われます。
実際の感覚としても、思い当たることがあるのではないでしょうか。
できないと思っていたことに、半ば仕方なく挑戦してみたら、意外とうまくこなせた経験。
「自分はこの分野は苦手だ」と思い込んでいたのに、環境や教え方が変わった途端、スムーズに理解できるようになった経験。
人に後押しされてやってみたら、自分でも驚くような結果が出た経験。
こうした出来事は、眠っていた能力の一部が刺激されて表に出てきた瞬間とも言えます。
自分では「ない」と思い込んでいたものが、実は「まだ使っていなかっただけ」だったことに気づく場面です。
つまり、今あなたが自分を評価する際に使っている材料は、本来持っている可能性のごく一部に過ぎません。
見えている範囲だけで「自分はこれくらい」と結論づけるのは、まだまだ途中段階の自己評価なのです。
私たちは普段、「過去の経験」というフィルターを通して、自分や世界を見ています。
過去にうまくいかなかったことがあると、その記憶がレンズのようになって、未来の可能性まで暗く塗りつぶしてしまうことがあります。
過去に人前で話すことがうまくいかなかった経験があると、「自分は人前に立つのが苦手だ」と思い込んでしまうかもしれません。
学生時代に英語でつまずいた記憶が強く残っていると、「語学は自分には無理だ」と決めつけたくなることもあります。
職場での挑戦に失敗した経験があると、「自分は責任ある立場には向いていない」と考えてしまうこともあるでしょう。
しかし、こうした結論は、あくまで「その時の自分」と「その時の状況」での結果に過ぎません。
時間が経ち、経験や知識が増えた今のあなたは、当時とはまったく異なる存在です。
周囲の人々も、仕事の内容も、サポート体制も変わっています。
過去のフィルターを意識的に外し、「今の自分」と「これからの環境」を見つめ直すと、以前は「無理」と思っていたことの中に、小さなチャンスや新しい可能性が見えてくることがあります。
もしかすると、苦手だと決めつけていた分野ほど、実は大きな成長の余地が残されているのかもしれません。
ここで、少し勇気のいる提案をしたいと思います。
それは、これまでとは逆の方向に舵を切り、意識的に「自分を高く評価する側」に振ってみることです。
もちろん、いきなり根拠もなく「私は天才だ」と言い聞かせる必要はありません。
ただ、自分を評価する際に、いつものように「厳しめに」「低めに」「慎重に」見積もるのではなく、少し盛ってあげるイメージを持ってみるのです。
たとえば、次のような言葉を、自分に向けてそっと投げかけてみます。
「私は、思っているよりもやればできるタイプかもしれない」
「私には、まだ表に出ていないだけの能力がたくさん眠っている」
「過去の失敗は、これから成功するためのデータに変えられる」
最初は、口にした瞬間にムズムズしたり、「いやいや、さすがにそれは言い過ぎでしょ」と心の中でツッコミを入れたくなるかもしれません。
でも、その違和感こそが、長年の「過小評価のクセ」がしみついている証拠です。
何度か繰り返しているうちに、脳は少しずつ「もしかしたら、本当にそうかもしれない」という前提で世界を見始めます。
すると、今までは見過ごしていたチャンスや、自分の成長を示す小さな変化に、自然と目が向くようになっていきます。
長い間、自分を低く見積もってきた人にとっては、「過大評価かな?」と思うくらいが、実はちょうど良いバランスです。それくらい振り切らないと、無意識に染みついた過小評価はなかなか補正されないからです。
ここまで見てきたように、あなたが自分をどう認識するかは、過去の記憶だけで決まっているわけではありません。
ネガティブな記憶が残りやすいのは、命を守るための自然な仕組みです。
その仕組みのせいで、私たちはつい、自分の失敗や弱点ばかりを材料にして自分を評価してしまいます。
その結果、実際よりも自分を低く見積もり、「私なんてこの程度」と感じやすくなっています。
しかし、まだ活用されていない能力や可能性は、予想以上に豊富に残されています。
過去の視点を取り払って、「今の自分」と「これからの環境」を新たに見つめ直すことで、これまで気づかなかった選択肢やチャンスが徐々に見えてくるでしょう。
その上で、思い切って自分を高く評価する方向に舵を切ってみてください。
それは単なる自己満足や誤解ではなく、長年の過小評価を適切な位置に戻すための重要な調整です。
「私は、思っている以上に可能性がある」――今日から、その前提で自分を見直してみてください。
その小さな認識の変化が、これからの現実を静かに、しかし確実に変えていくきっかけとなるでしょう。
