「先輩に『ありがとう』と言われた瞬間、反射的に『いえ、自分なんて』と返している」
「『よくやったね』と褒められても、『たまたまですよ』と笑ってしまう」
「『○○さんのおかげだよ』と言われると、『そんなことないです』と手を振ってしまう」
その言葉は、悪気なく、ほとんど反射のように口から出ていきます。
謙虚に振る舞っているつもりで、なぜか心は少しだけ寂しい。
そんな経験はないでしょうか。
反射的に出てしまう、自分を打ち消す言葉
「いえ、自分なんて」「たまたまです」「そんなことないです」
日本に生まれ育つと、こうした言葉は自然に身についていきます。
出すぎないこと、控えめでいることは、私たちにとってひとつの美徳でもあります。
ただ、よく見てみると、これらの言葉は、相手の感謝をそっと押し返しているものでもあります。
相手は「あなたのおかげで助かった」と言っている。
それなのに、こちらは「いえ、自分は何もしていません」と打ち消している。
その小さな繰り返しが、ちょっとずつ自分の中の「自分なんて」を強くしてしまうのです。
謙遜のつもりが、いつの間にか自分を下げる癖になっていることがあります。
「自分なんて」が、こっそり自分を小さくしている
謙虚でいることと、自分を下げることは、似ているようで違います。
謙虚とは、相手を尊重して、まだ学ぶ姿勢を忘れないこと。
自分を下げるとは、自分の価値そのものを「ない」ことにしてしまうこと。
「自分なんて」「まだまだです」「全然できてません」
口にするたびに、心はその言葉を静かに受け取ります。
「そっか、わたしはまだ価値がないんだな」と。
そして、その積み重ねが、次の行動を選ぶときの基準になっていきます。
新しい仕事を任されても「自分には早い」と引いてしまう。
誰かに頼られても「役に立てないかも」と引き受けられない。
褒められても「お世辞だろう」と素直に受け取れない。
謙虚さの裏で、こっそり自分の可能性を小さく折りたたんでしまっているのです。
「ありがとう」と言えた日の、心のあたたかさ
少し試してみてください。
次に誰かに「助かったよ」と言われたら、
「いえいえ」のかわりに、「ありがとうございます」と返してみる。
最初は、ちょっと照れくさいかもしれません。
「こんな自分が受け取っていいのかな」と、胸の奥でためらいが生まれるかもしれません。
それでも、そっと言ってみる。
不思議なものです。
「ありがとうございます」と返した日は、なぜか帰り道の足取りが少し軽くなります。
それは、相手の言葉をきちんと受け取ったから。
そして、自分の中に「受け取っていい価値がある」と、小さく認めてあげたから。
たったひと言で、心はそっとあたたかくなるのです。
受け取れる自分が、誰かを受け取れる自分になる
おもしろいのは、ここからです。
自分の価値を受け取れるようになると、不思議と、人の価値も素直に見られるようになります。
同期の頑張りを、ねたまずに「すごいな」と思える。
誰かの成功を、自分と比べずに「よかったね」と喜べる。
後輩の小さな成長に、ちゃんと気づいてあげられる。
自分の中に「自分なんて」が満ちていると、人にも厳しくなったり、比べて疲れたりしがちです。
でも、自分にやさしく「ありがとう」を渡せるようになると、
不思議と他の人にも、やさしい目線を向けられるようになっていきます。
受け取れる自分は、渡せる自分でもあるのです。
言葉を、そっと受け止めるところから
大きく自分を変える必要はありません。
明日からの会話の中で、ほんの少しだけ、受け答えを変えてみる。
「いえ、自分なんて」を、「ありがとうございます」に。
「たまたまですよ」を、「そう言ってもらえると嬉しいです」に。
「そんなことないです」を、「嬉しいです、もっと頑張ります」に。
そのひと言ずつが、あなたの中の自分への見方を、ゆっくり変えていきます。
今日から、ほんの少しだけ。
自分に問いかけてみてください。
「最近、誰かにかけてもらった言葉を、ちゃんと受け取れていただろうか」
「今日いちばん、自分が『ありがとう』を返したい瞬間は、どこにあるだろう」
答えは曖昧でかまいません。
「ありがとう」を受け取ることは、傲慢でも甘えでもありません。
自分にも、相手にも、誠実でいるための、いちばんやさしい方法なのですから。
