なんでもないことなのに、なぜか身体が止まる。そんなこと、ない?
「手をあげるだけなのに、なぜか腕が重くなる」
「発表しようとすると、口の中がからからになる」
「やってみたいことなのに、なぜか『自分にはまだ早い』と引いてしまう」
頭ではわかってる。やったほうがいいことも、わかってる。
それなのに、身体がついてこない日がある。
そんなとき、自分を責めたくなるかもしれない。
でも、その「動けなさ」には、ちゃんと理由があるんだ。
その「なんとなく苦手」には、ちゃんと理由がある
「なんとなく」苦手なことは、誰にでもある。
特別な失敗をしたわけじゃない。怒られた覚えもない。
それなのに、その場面になると胸がざわつく。
それは、きみの性格や能力の問題じゃない。
過去のどこかで感じた小さな気持ちが、今もそっと心の奥に残っている。
そして、似た場面に出会うたびに、その気持ちが静かに顔を出してくる。
ただ、それだけのことなんだ。
理由のない「なんとなく」は、じつはない。
気づかないだけで、心はちゃんと覚えているんだ。
昔のあの気持ちが、今日もそっとよみがえる
わたしたちの記憶は、出来事だけを覚えているわけじゃない。
そのとき感じた気持ちと一緒に、しまわれている。
小さいころ、みんなの前で発表してうまく言えなかった気まずさ。
誰かに笑われて、頬が熱くなった瞬間。
意見を言ったら、空気が変わってしまったあの時間。
その出来事は忘れてしまっても、そのときの気持ちだけは、心の奥に静かに残っている。
そして今、似た場面に立ったとき──
授業で意見を求められた瞬間、みんなの前で発表する直前──
あの日の気持ちが、そっとよみがえってくる。
身体がすくむのも、息が浅くなるのも、声が小さくなるのも、
今のきみじゃなくて、昔の小さなきみが反応しているだけなのかもしれない。
頭ではわかってるのに動けない、心の二重構造
「頭ではわかってるのに、動けない」
この感覚には、ちょっとした仕組みがある。
きみの中には、二人の自分がいるようなものなんだ。
ひとりは、頭で考える自分。
「やったほうがいい」「これは大事」と冷静に判断する。
もうひとりは、気持ちで感じる自分。
「なんかこわい」「やめておきたい」と、無言で訴えてくる。
この二人が綱引きを始めたとき、勝つのはたいてい、気持ちで感じる自分のほう。
だから、頭でいくら「やろう」と思っても、気持ちが「いやだ」と言えば、身体は動かない。
意志が弱いんじゃなくて、心の中で力のバランスが傾いているだけなんだ。
小さな「だいじょうぶ」が、古い気持ちを書き換える
じゃあ、その気持ちはずっとそのままなんだろうか。
ううん、ちゃんと変えていける。
過去の感情は、新しい体験で少しずつ上書きされる性質を持っている。
たとえば、「発表は怖い」と感じていた人が、勇気を出して一言だけ発言してみる。
最初は緊張するけど、ちゃんと伝わって、誰かが「いいね」とうなずいてくれる。
すると、心の奥に「発表=ちょっと手応えがある」という新しい気持ちが、そっと加わる。
一度で大きく変わる必要はない。
小さな「だいじょうぶだった」を、少しずつ積み重ねていくだけ。
そのたびに、古い気持ちは少しずつ色をうすくしていくんだ。
過去の気持ちは、いつでも上書きしていい
過去に感じた気持ちは、そのときのきみを守るために生まれたもの。
だから、否定する必要はない。
ただ、「あれは昔の話だね」とそっと声をかけて、
今のきみが選ぶ新しい気持ちを、ひとつずつ重ねていく。
それだけで、心の奥の景色はゆっくり変わっていく。
きょうから、ほんの少しだけ。
自分に聞いてみてほしい。
「今、ブレーキをかけてるこの気持ちは、いつのものだろう」
「もしその気持ちが少し小さくなったら、何をやってみたい?」
答えはあいまいでかまわない。
動けない日があっても、だいじょうぶ。
その理由を知ってあげることが、自分にやさしくなる第一歩なんだから。
