先週の会議のことを思い出すと、少しだけ気が重い。
前日に資料も読んだし、言いたいことも整理してあった。
なのに「何か意見のある人」と振られた瞬間、心臓が跳ねて、用意していた言葉がどこかへ消えてしまう。
結局その日は何も言えないまま会議が終わり、帰りの電車で「あれを言えばよかった」とひとり反芻する。
そんな経験は、ありませんか。
「昔からこうだった」と片づけてきたこと
不思議なのは、一対一なら普通に話せることです。
先輩との雑談でも、後輩への説明でも、言葉に詰まったりはしません。
それなのに、人数が増えて視線が集まる場面になると、決まったブレーキがかかる。
ある雰囲気の人を前にすると、理由もなく身構えてしまう。
チャットに意見を書いて、送信する前に何度も書き直してしまう。
理由を聞かれても、「昔からこうなので」としか答えられない。
でも、「昔から」には、必ず始まりがあります。
学生時代の一言が、いまも身体を固めている
たとえば、授業で手を挙げて答えたら、教室に微妙な空気が流れた。
発表の途中で、誰かが小さく笑った。ゼミで的外れなことを言って、短く否定された。
そのときの出来事を、いま細かく思い出せる人は少ないはずです。
いつだったのか、誰がいたのか、何と言われたのか。輪郭はもうぼやけています。
それでも、そのとき感じた恥ずかしさや悔しさだけは、身体のどこかに残っている。
そして「大勢の前で意見を出す」という似た場面になると、そこだけが再生される。
会議室にいるのは今の自分なのに、反応しているのは当時の自分、というわけです。
細部は忘れても、感情のクセだけが残る
脳は、毎日の体験をすべて同じように保存しているわけではありません。
特に深く残るのは、強い感情を伴った体験です。これを情動記憶と呼びます。
嬉しかったこと、恥ずかしかったこと、怖かったこと。
こうした体験は特別な処理を受け、ふつうの記憶よりずっと長く残ります。
イメージとしては、スマホの写真アプリが勝手に「思い出」を再生してくるのに似ているかもしれません。
何千枚もある中から、特定の日の写真だけが、何度も表示される。
脳も同じように、強く感情が動いた場面を「重要」と判定して保存し、似た状況になると先回りして再生してくるのです。
厄介なのは、出来事の中身が薄れても、感情の反応だけが残ること。
だから理由が思い出せないまま、「なんとなく苦手」という感覚だけが手元に残ります。
「自分がダメ」から「過去が反応している」へ
ここで大事なのは、その反応があなたが選んだ性格ではないということです。
「自分は意見を出すのが苦手な人間だ」と結論づけてしまうと、これから先の会議も、手を挙げられたはずの場面も、その古いラベルで塗りつぶされていきます。
でも、「いまのは過去からの便りが届いただけだ」と読み替えられたら、どうでしょう。
心臓が跳ねたこと自体は変わりません。ただ、その反応と自分との間に、少しだけ隙間ができます。
「自分がダメ」というラベルから、「過去の記憶がそう反応している」という現象へ。
捉え方が変わるだけで、その反応に従うかどうかを、自分で選べるようになります。
情動記憶は、変えられない運命ではありません。新しい体験を重ねることで、少しずつ上書きしていけます。
今日の帰り道で、ひとつだけ振り返ってみませんか。
「自分は昔からこうだ」と思っている苦手をひとつ選んで、それが始まった場面に心当たりがないか探してみる。
思い出せなくても構いません。「これは性格ではないかもしれない」と疑えた時点で、もう距離は生まれています。
次回は、そうやって「変わろう」と決めたはずなのに、数日で元の自分に戻ってしまう理由についてお話しします。
