いま、頭の中でどんな場面を再生してる?
「この提案、あの人に突っ込まれたらどう返そう」
「スケジュールが遅れたら、どこにしわ寄せがくるだろう」
「新しい役割を引き受けて、うまくいかなかったら」
先回りして考えるのは、あなたの得意なことだと思う。
実際、そのおかげで防げたトラブルも、きっとたくさんある。
でも、ちょっとだけ聞いてみたい。
うまくいった場面を、同じくらい細かく思い描いたのは、いつが最後だったかな?
想定しただけで、もう疲れている
大事な会議の前の夜を、思い出してみてほしい。
こう聞かれたら、こう返す。あの資料を出されたら、こう切り返す。
頭の中で、悪い展開を何通りもなぞっていく。
そして気づくと、まだ何も起きていないのに、もうぐったりしている。
おもしろいのは、ここだ。
会議はまだ始まってもいない。それなのに、身体はちゃんと疲れている。
これは、脳が「思い描いたこと」と「実際に起きたこと」を、うまく区別できないから。
はっきり思い描いた場面は、脳にとって、一度体験したのとほとんど同じなんだ。
描けるのは、いつも悪いほうの場面
経験を積むほど、悪いほうの想定はうまくなっていく。
どこでつまずきそうか。誰が反対しそうか。何が足りなくなりそうか。
それを先に描けるから、あなたは頼られてきた。
ただ、その力は、自分の未来を考えるときにも、同じ向きで働く。
新しいことを始めた自分が、うまくいかずに困っている場面。
手をあげた自分が、期待に応えられずにいる場面。
そういう映像は驚くほど細かく描けるのに、
うまくいった自分の場面は、ほとんど描いたことがない。
脳は、再生した映像のほうへ歩きだす
困ったことに、脳は、くり返し再生された映像を「これから起きること」として受け取る。
そして知らないうちに、その映像に合った行動を選びはじめる。
悪い場面を細かく描いた日ほど、一歩が慎重になる。
手をあげる前に、引っこめる理由のほうが先にそろってしまう。
反対に、うまくいく場面を思い描けた日は、同じ一歩がなぜか少し軽い。
これは、意地悪な仕組みじゃない。
ただ、どんな映像を流しているかで、向かう先が変わるというだけのことだ。
もし、うまくいった場面を同じ細かさで描いたら?
そこで、ひとつ試してみてほしい。
悪いほうを想定するときと同じ細かさで、うまくいった場面を思い描いてみる。
映画のワンシーンのように。
- どこにいるだろう
- 誰と、どんな話をしているだろう
- どんな顔で、その場に立っているだろう
たとえば、こんなふうに。
新しく任された仕事が軌道に乗って、チームのみんなと次の話をしている。
帰り道、「やってみてよかったな」と、肩の力が抜けている。
長く描かなくていい。思いついたときに、短く、何度も。
くり返すうちに、その場面は「いつかの夢」じゃなく、もうひとつの当たり前として心になじんでいく。
描く力は、もう持っている
リスクを想定するとき、あなたは場面を具体的に、細かく、何度もなぞっている。
それは、なりたい自分を思い描くときに必要なことと、まったく同じだ。
最悪のケースをあれだけ細かく描けるあなたなら、
うまくいった場面を描く力も、もう十分に持っている。
新しく身につける必要はない。
向ける先を、ときどき入れ替えるだけでいい。
きょうから、ほんの少しだけ。
自分に聞いてみてほしい。
「いま、頭の中で再生しているのは、どっちの場面だろう」
「うまくいった自分を描くなら、どんなワンシーンになるかな」
答えはあいまいでかまわない。
あなたが先に描いた場面のほうへ、脳はきょうも、静かに歩きだしているんだから。
