周りの引き留めを振り切って、新規事業の部署に移ってひと月。
初めて任された提案資料の締め切りが、三日後に迫っていました。
何度書き直しても、しっくりこない。
構成を変えては戻し、言葉を選んでは消す。気づけば、画面の前で一時間が過ぎている。
前の部署なら、このくらいの資料は半日で書けていたはずでした。
前の部署なら、半日で書けていたはずの資料だった
能力が落ちたわけではありません。経験も知識も、ひと月前と変わっていない。
それなのに、手が思うように動かない。
頭の中を占めていたのは、資料の中身ではありませんでした。
「異動を認めてくれた上司に、結果で返さなきゃ」
「新しいチームの後輩たちに、頼りないと思われたくない」
「わがままを通したんだから、失敗は許されない」
期待に応えようとすればするほど、肩に力が入り、いつもの自分が遠ざかっていくようでした。
ペンを強く握るほど、字は乱れる
きれいな字を書こうとして、ペンを強く握りしめたことはありませんか。
力を入れるほど線は硬くなり、かえって字は乱れていく。
いつも通り軽く握っていれば、自然に書けるのに。
脳の働きも、これに似ています。
「失敗できない」と力んだとき、脳はそれをストレスとして受け取り、身を守るモードに切り替わります。
すると視野がぐっと狭くなり、柔軟な発想や、普段なら浮かぶはずのアイデアが出てこなくなる。
期待に応えようとする力みそのものが、いつもの力を奪っていたのです。
「期待を裏切れない」が、頭の中を占領していた
この力みの正体は、**have to(〜しなければならない)**という動機です。
have toで動いているとき、脳は「うまくやりたい」よりも「失敗したくない」に集中します。
中堅の力みがやっかいなのは、その多くが周りの期待から生まれること。
自分ひとりのためなら割り切れることも、「認めてくれた人」「見ている後輩」がいると、とたんに手放せなくなります。
責任感が強い人ほど、ペンを握る手に力が入るのです。
「この事業で、自分は何を実現したかったんだっけ」と書き出してみた
その夜、資料をいったん閉じて、ノートにひとつだけ問いを書きました。
「この事業で、自分は何を実現したかったんだっけ」
浮かんできたのは、兼務を始めた頃に感じたワクワクでした。
「この仕組みが広がれば、現場の人たちの仕事がもっと楽になる」
翌朝、その一文を資料の冒頭に置いてみると、不思議なほど手が動きました。
誰かの期待に応えるためではなく、**自分がやりたいこと(want to)**から書きはじめたからです。
期待ではなく、want toに力を預ける
力を抜くことは、手を抜くことではありません。
周りの期待を大切にしながらも、ハンドルを握る力の源を、「しなければ」から「したい」へ移す。
それだけで、脳は本来の柔らかさを取り戻します。
人がいちばん力を発揮するのは、緊張しきったときではなく、リラックスしながら深く集中しているときです。
時間を忘れて資料づくりに没頭していた、あの頃の感覚を思い出してみてください。
期待に応えようとするほど力が出ないのは、あなたの責任感が強いからこそ。けれど、その責任感が力みに変わると、脳は本来の力を出せなくなります。
明日から5分だけ、試してみませんか。
いちばん気が重い仕事をひとつ選び、「この仕事で、自分は何を実現したいか」をメモに一行書いてから取りかかってみる。
後輩が力んでいるときにも、同じ問いを渡してあげられるはずです。
次回は、忙しくても不思議と疲れない人がいる理由——エネルギーがどこから湧いてくるのかについてお話しします。
